ぼくは小学生の頃、学校のテストというのは
なんか運試しみたいなやつだと思っていました。
それが、5年生の秋くらいのある日、
「テストに出る問題は、その前に授業でやっていた内容から出ている」
「授業は教科書にのっとって進んでいるので、教科書を読むと習った内容が分かる」
ということに気がついて、ものすごいセンセーションを受けたのですが、
興奮してこの隠されていた世界の真理を友達に話しまくったら、
「はあ?」「当然やん?」と言われまくってショックでした。
こんばんは。
それからもぼくは、ことあるごとにとんでもない世紀の大発見をして
人に話すたびにこれを味わってきたのですが、
(カレンダーの、ある日付の真下の日付は、上の日付+7になってる とか)
なんというか、ぼくは、物事を理解するのが苦手のようです。
「子供の頃に大人に言われる良い話とかは、自分が大人になるまで
なかなか本当に理解できない」
みたいなことはよく言われますが、まさにそんな感じ。
自分の脳のキャパシティに余裕ができたとき、
あっあれはそういうことだったのかとよく気づかされるのです。
「勉強なり仕事なり、やるときはやって、遊ぶ(休む)ときは遊ぶ、
メリハリのある生活をしなさい」みたいなのとか。
これは、ぼくの大嫌いだった教頭先生が超口酸っぱく言いまくっていて、
このババアはうるさいババアだなあぐらいにしか思ってなかったのですが、
ほんとちゃんとそういう生活を送ることは大事だなあと、最近になりよく思うのです。
こう、規則正しい生活は健康のために大事っていうのもありますが、
その日具体的になにをどのくらいやったのかとかが実感しやすくなって、
こう、これからやるべきことの計画とかが、惰性で生きてるときよりも
立てやすくなりますね。なるほどあんなに言われていた意味がわかった感じです。
しかしあの教頭先生はいやなババアだったので今も嫌いです。
ここで終わるつもりだったので、もとより余談ですが、
学生時代にぼくが好きだった先生とかってよく考えると、なぜか今みんな、
教師を休んでいたり、辞めてしまっているのです。
今書いていて気がついたのですが、
ぼくが好きになった人は仕事をやめる呪い、とかなのでしょうか。
わーいみんな大好きだぜ!!!
・漫画みたいなやつ
字が小さいからだんだんサイズが大きくなっていたあれですが、
そろそろ写真でアップしても読めないと判断したのでいったん止めます。
これとは関係ないんですが、別件でスキャナが入用になりましたので
スキャナを買いましたら、続きはそのときにでも。
別に誰も待ってないのは知ってるけどな!自分自身のけじめというやつです。
けじめという単語も教頭が好んでよく使っていたので嫌いな言葉ですが
やはり最近になりその大事さを痛感しています。
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