ねぎらいの言葉というのがあります。
「わたしダメなのよ!うどんとか注文するときでも、
いっつもちゃんと抜いてもらうよう頼むんだから!」
「なんでそんなものをかけるのよ!余計なことしないでよね!
ほんとにいらないの!ああ臭い!」
「臭いがだめなのよ!」
というやつです。違います。それはねぎ嫌いの言葉です。
もとい、ねぎらいの言葉とは
「よく頑張ったね」
「おつかれさま」
「臭いがだめなのよ!」
に代表される、苦労をいたわる言葉です。
これは相手の努力を認めて言う言葉ですから、
言われたって、喜びこそするけれど、嫌がる道理はないはずです。
しかし、この「ねぎらいの言葉」をかけられることを極端に嫌う人も、
けっこうな数いらっしゃるように思います。
ねぎ嫌いならぬ「ねぎらい嫌い」とでも呼びましょうか。
ねぎらい嫌いってなんかオレンジレンジと語感が似ていますが、それはそれ。
彼らはねぎらいの言葉をかけると、たいていの場合決まって、
「なんでそんな言葉をかけるのよ!余計なことしないでよね!
ほんとにいらないの!ああ臭い!」
とか、なんかねぎ嫌いとあんまり変わらない内容のことを言います。
しかし、彼らとて、べつにねぎらわれるのが嫌なわけではないはず。
というよりは、心のこもっていない、うわべだけの言葉をかけるだけで
あたかもそれでねぎらっているかのようにふるまわれるのが嫌なのではないでしょうか。
……ひらがながおおいですね!
さて、そんな奴ら放っておけばいいんだ!ねぎらい拒否とは不届き千万ぞ!
と思われる方も大勢いらっしゃることとは思います。
さりとて、今年の夏にねぎらいアドバイザーの資格を取ったぼくとしては、
そんな彼らをもねぎらう方法を見つけたいところなのです。
ねぎらいアドバイザーってなんかスプロイポポロイワーと語感が似ていますが、
それはそれ。っていうかまずスプロイポポロイワーが何か分かりません。
ねぎらいの“言葉”がだめならば、それに代わる他のなにかで、
ねぎらいの意思を伝えるべきでしょう。
たとえば、ねぎらいパンチ。
拳を交わせば生まれる友情!というやつですね。
しかし、そんな言葉を信じた結果、生まれたのはさらなる軋轢だけだった、ということも
往々にして起こり得ます。ねぎらうつもりが、角を立ててもしょうがないですね。
第一に、暴力はいけません。ねぎらいだろうと暴力はいけません。
これは駄目です。
ねぎらいの踊り。
労をいたわる気持ちが、その一挙一動に満遍なくあらわれた踊りを踊れば
きっと伝わるねぎらいの心。華麗なダンスに心奪われた周囲の人たちも徐々に集まり
気づけばそこはダンスホール!ねぎらわれた相手も、いつのまにか一緒に踊りだす!
まるでインド映画!結局、誰がねぎらってねぎらわれたのか分からない大騒動に……
ああ、これも駄目です。
ねぎらいの
セラスはどうでしょうか。
相手の疲れを読み取るや否や、ごはんにそっと、しらすもといセラスをかけてあげる
ナイスプレー。言葉には出さずとも、そこに確かに存在する、ねぎらいの気持ち――
これは良さそうです。良い感じ。
――そこへ突如、障子を突き破り現れる野生のサイの群れ!瞬く間に食卓をなぎ倒す!
飛び散るごはん!セラス!!突き上げるサイの角は、良く見るとネギでできている!
ああっ!!しまった、これはねぎライノセラスだ!!うわああああ!!!あっ、駄目ですね。
ねぎらいの金銭。
なんか、これが一番角が立たなそうというのが悲しいところです。
そんなものを要求する輩には、ここはひとつねぎらいパンチでもくれてやりたいですが、
ねぎらうつもりが、角を立ててもしょうがない。
第一に、暴力はいけないですね。ねぎらいだろうと暴力はいけません。
いえ、
角が立つとか立たないとか、そんなことばかり気にしていては、
ねぎらいの気持ちは伝わらないのかもしれません。
ねぎらいの言葉が嫌いだ、というのだって、角が立たないように言ったのがみえみえの、
形式だけの言葉なのが嫌なのでしょう。彼らは。おそらくは。
角が立つのは覚悟の上で、角は角でも良い角にしようとするというのはどうでしょうか。
たとえば、笑うカドには福来たるとも言いますから、笑いながらねぎらいパンチ!!とか。
反撃で、たぶんフックが来たります。
駄目ですね。ねぎらうことは難しいです。アドバイザーでこれなのだから、
そうでない皆様はふだんどれほどの苦労をしていらっしゃるのでしょうか。
さぞ大変な日々でしょう。心中お察しいたし……いや、こういう条件反射のねぎらいが
いちばんよくないという話でした。あぶないあぶない。ねぎらうところだった。
ねぎらいの婚姻。
もう、ひとりで全部抱え込まなくても、頑張らなくても、いいのよ!
これからはずっとそばにいるわ!!みたいなのですね。フィクションでよくあるやつ。
これは他とは本気度が段違いです。
そんなねぎらい拒否りングひねくれ野郎のために人生を棒に振る覚悟はありませんが、
もうこれしかありません。
ねぎらい結婚式は、しめやかに行われました。
新婦の顔面が苦痛にゆがんでいるのは、ぼくが浴びせたねぎらいパンチのせいだけでは
ないのでしょう。
式も終盤、
ひととおりねぎらいの踊りを見終えても、その顔がほころぶことはありませんでした。
あつまった親戚も怪訝な顔。このままでは両家の関係に角が立ってしまいます。
角をたてないように、と新婦に被せた角隠しも、これでは効果がありません。
残されたねぎらいは、ご祝儀という名の金銭だけ。
ぼくはいただいたそれを、そっと新婦に手渡して、起死回生をはかりました。
乱暴に袋をやぶる、あからさまに不機嫌な新婦。
中から飛び散るセラスヴォッセ。
来賓席でそれを指さし、他の来賓に威張り散らすしらす工場の社長――
――障子を突き破り現れる野生のサイの群れ!阿鼻叫喚、スプロイポポロイワーたちも右往左往!
角が立つことに必要以上なまでに神経質になっていたぼくは、
破壊の限りを尽くすねぎライノセラスの背中に飛び乗り、新婦から角隠しを奪い取ると、
すかさずネギでできたその角にかぶせました。
ライノセラスはかつて冷静さを取り戻したものの、式場は大破。
新婦を含む大多数が逃げだしたこの騒動でしたが、
残ったごくわずかな人の手によって、式は無事に最後まで執り行われました。
これが、先日ぼくがサイと結婚することになった顛末です。
[2回]
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