「冷やし中華はじめました」
のよくある文言を、あるラーメン屋さんで見かけました。
壁いっぱいに同じ張り紙がしてあって、この店の冷やし中華にかける
情熱が、そこからありありと感じとれるかのようです。
しかし、
あぁ、冷やし中華か、いいな、食べたいかな……。
なんて考えながらそれを眺めていると、一つだけ、よく似ているけれど
ちょっとだけ違う張り紙がしてある事に気付いたのです。
「泥棒はじめました」。
堂々と犯罪自慢みたいなことを言うなんて。
これ、炎上するやつじゃないか、炎上したら、冷やし中華も温まって
結局ただのラーメンになるじゃないか、と思ったのですが、
ちょっと待った。泥棒をはじめる?どこかで聞いた言葉の気もします。
泥棒をはじめる条件にはなにかがあった気がします。そう……
嘘つきは泥棒のはじまり ですね。
つまりこの「泥棒はじめました」は、本当に泥棒になったという意味でなく
「嘘をつきました」と読みかえることができるわけです。
なるほど。それを、冷やし中華とともに「はじめました」の列に
紛れ込ませるとは、なかなか気の利いた洒落ではありませんか。
でも、嘘って何だろう?ラーメン屋さんがどんな嘘をつくというのでしょう。
気になったぼくは店に入ってみる事にしました。
冷やし中華をはじめたのが嘘なのかと思ったけれど、店内を見回すと
冷やし中華を食べているお客さんもいるし、そうではなさそうです。
席に案内され、カバンを下ろすと、さっそくメニューを見るぼく。
このメニューのどれかが嘘なのか?
運ばれてくるお冷。これが本当は水じゃないとか?
「注文がお決まりでしたらこちらのボタンを押してください」。
押しても来てくれないとか?
考えても考えても、埒がありません。
とりあえず、普通のラーメンを食べることにしました。
相応の時間を店で過ごして、注意深く観察すれば、どれが嘘か気付くチャンスが
きっと訪れるはずです。
ぼくがラーメンを食べていると、偉そうな風体の男の人が、店の奥から
出てきました。胸には「店長」の名札。これは怪しい。
すみません、店長さんですか?
「はい、そうですけれど」
嘘つきなんですよね?それで泥棒はじまってて。
「はい?」
店長さんだというのも嘘でしょう。
実は替え玉さんなんじゃないですか?ラーメン屋さんだけに。
どこへ行くんですか?
「本当に店長さんですよ。替え玉さんじゃないです。
本部からの呼び出しなので車を出します。」
それが嘘なんですか?
「……いい加減にしてください!」
「……ああ、すみません、怒鳴るのはやりすぎでした。
ごめんなさい、大丈夫ですか?」
店長さんはハッとした表情をすると、即座に申し訳なさそうにそう言い、
ぼくの席の脇に膝をついて頭を下げました。
驚いたのはぼくのほうです。いやいやそんなことしなくて良いですよ、
お急ぎのところ引きとめてごめんなさい、失礼なこと言って申し訳ありませんでした。
この態度が嘘なのか?と疑うことは、なんとなくしたくありませんでした。
その後も注意深く観察したものの、店長さんは本当に、携帯電話で二言三言話したと思うと
車に乗ってどこかへ行ってしまいました。行き先も嘘じゃなかったのか……。
結局、何が嘘なのか分からないままに店を後にしたぼく。
家に帰ってカバンを開けると、カラッポになっていたのです。
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