写真が家になる時代。
カメラ技術の進歩か、人類がそういう能力を得たのかは分からないけれど、
人々はみんな、撮った写真の中に、自由に出入りすることができるようになっていた。
人口増加で土地不足な昨今、新たに建物を建てる場所ももうなかったが、
従来の住宅より場所を取らない「写真」の普及によって、
住宅の内装を撮影した写真を買って、近場の壁に貼ってそこに「住む」という
新しい生活スタイルが、人々に根付きつつあった。
写っているだけの広さしかないけれど、どこでも貼ってはがせるために近隣トラブルもない。
値段も非常に安く、飽きたら簡単に別の写真に買いかえることもできる。
みんなそれで満足して、現物の「建物」に暮らすのは、もはや変わり者だけだった。
世界遺産や、貴重な自然のあれこれも、写真だけ撮ってどんどん取り壊された。
やがて、流行り始めたのは、人物や動物の写っている家の写真。
紙に印されたただの記憶なので、写真の中の彼らは死ぬことはないし、
生活費もかからない。誰といっしょに暮らそうが自由。
絶滅動物にも、今は亡きスターにも、写真の中ではいつでも会える。
好きな異性を取りあうようなこともなくなって、皆が好きな誰かといっしょに暮らす。
死にそうな野良猫がいたら、写真だけ撮って帰った。写真のなかで猫を助け、可愛がる。
そんな世界になりつつあった。
ぼくも、一枚の写真を大事にもっていて、住処としていた。
古い木造建築の一階。
日に焼けた畳の上には木のちゃぶ台と和箪笥。その上には、場違いな洋酒が一式。
縁側からは、庭石のある小さな庭が見える。松の木が二本。石の盆に泳ぐ、赤い金魚が三匹。
猫と犬が一頭ずつ。
似たような写真はあちこちで売られていたし、少しお金を出せば、もっと洒落たものも買えたが
ぼくはこの写真を大層大事にして、もうずっとここで暮らしていたのだ。
これから先、違う写真に「引っ越す」ことも、全く考えていなかった。
と、いうのも。
これは、まだ写真の普及していない、幼いころに暮らしていた現物の実家の写真なのだ。
犬も、猫も、庭も、金魚も、みんなもう既にこの世にはいないが、いずれも本当に大好きだった。
この写真は、それらすべてが偶然同時に同じ画面に会した、奇跡の一枚だったのだ。
家そのものもとうの昔に取り壊されているので、同じ写真は二度と取れない。
所謂「一点モノ」だ。換えのきかない、かけがえのない、大事な写真だった。
思い出にしばられているようで、我ながら情けない思いもないではなかったけれど、
友達のほどんどいないぼくにとって、唯一安らげる空間だった。
ここ以外のどこかで暮らすことなど、考えられない。
ある日。ある一人の男と、ぼくは再会した。幼馴染だ。
仕事の出張中、料理の写真を選んでいる時に、ばったり会ったのだ。
もう十年以上も互いに音沙汰がなかったが、再会を喜び、打ち解けるのに
そう時間はかからなかった。
元々それほど親しい仲だったわけでもないが、みんなが、人間関係を
写真の中で完結させがちなこの時代、生きている知人に会うのは嬉しかったのだ。
今どんな写真に住んでいるのかという話題になり、
彼は趣の違ったいくつかの別荘地を日替わりで楽しんでいる、と自慢気に話した。
ぼくの住処についてもたずねてきたが、ぼくがもう何年もずっと、市販品ではない、
自分で撮った素人写真に暮らしていると聞くと、ずいぶん驚いていた。
ほら、小さい頃、うちに来て、この部屋でいっしょに遊んだことがあるだろう、と
ぼくはポケットから自宅を取りだして彼に見せた。
子どものころに何度か遊んだだけの家のことなんて、もう覚えていないだろうかと
半ば諦めていた。しかし、彼は思いのほかよく覚えていたようで
「金魚、台風の翌朝に水から出て死んでしまっていたんだっけ」
「このお酒のビン、綺麗だからって勝手にさわって、よく怒られたよな」
ぼく自身もよく覚えていなかったようなことまでが、
次々と彼の口から懐かしげに語られることに驚いた。
そう言われてみれば、確かにそうだった、と感心することがいくつもあって、
それからあらためて写真を見ると、今まで忘れていた当時の記憶に近付けたようで
なんだか感慨深いものがあった。
けれど話しているうちに、ふと見ると彼の顔が曇っていたので、
自分の事ばかり話して思い出に浸りすぎたかと思い、この話題はそこで切り上げる
ことにした。
帰り際、互いに自分の写った写真を交換したあと、今日は楽しかったよと別れを告げた。
しかし、ぼくがその場を去ろうとしても、彼はそこから動かない。
じっとこっちを見て、口をパクパクさせて、何か言いたげな表情だった。
写真では基本的には「一番良い瞬間」を撮るので、こういう悩みや苦悶の顔をするのは
現実に生きる相手ならではだ。
物珍しく思ったぼくは、せっかくなので彼のところまで戻り、
何か言いたいことでもあるのかい?と尋ねた。
彼は迷い、ためらっている様子だったが、やがて
「さっきの、家の写真を見せてほしい」と言った。
なんだそんなことか、とぼくは写真を渡した。
彼は懐かしむとも違う、悲しそうな顔でしげしげと見つめた後、ポツリと言った。
「言いにくいんだけどさ、おまえの写真(いえ)、それ………
天井のあたり、血だらけで首のない落ち武者がいるように見えたんだけど」
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